マンガ存在論 〜受容からみるマンガの独自性〜


2010/1 (学生時代に書いたまま手直ししていません)

第3章 作品分析



第3章 作品分析

 ここでは具体的な作品を挙げ、それを考えることによってマンガがリアリティを得るために、どのような期待がなされているのかを調べる。

 

3―1 マンガ要素と取り上げる作品

 前章で、マンガにある三つの要素「絵」「コマ」「言葉」を明記し、更にリアリティに関して、その三つ以外にそれらの要素の構成による要素「ストーリー(キャラクター)」を挙げた。ここではこの四つに対して、それぞれ期待の地平を考えていく。具体的には、これらの要素各々が特に強化されてきたと考えられるジャンルにおける、代表的な作品を取り上げることによってそれを分析可能であると考える。それは、「コマ」における期待を考えるならば、「コマ」からのリアリティを強化していった結果「劇画」というジャンルが現れたために、「劇画」を扱うことによって「コマ」における期待の地平を調べうると考えるからである。この方法によって「コマ」と「言葉」における分析はそれぞれ、「劇画」と「少女マンガ」を取り上げることになろう。しかし、「絵」におけるリアリティを考える場合は少々都合が異なる。それは、「絵」の中の「キャラ」が無視できないからである。即ち、「絵がとてもリアルだから、これは絵のリアリティを強化している作品である」とはいえず、「絵」の中に存在する「キャラ」という明らかに現実の人間とは形の違うものがリアリティを持つという状況を共に考えなければいけないからである。この意味で、劇画的な、背景の客観的なリアリティの水準を持ちつつ(後述するが、このように「絵」の客観的なリアリティはコマによるリアリティとは切り離せないものである)、簡略化された「キャラ」にリアリティを持たせている作品を参照しなければ、ここで言う「絵」という要素からのリアリティを考えることはできない。また、「絵」を述べるときに劇画的な「コマ」におけるリアリティを参照したが、このように、四つの要素は完全に分離しているわけではなく、それぞれが密接に絡み合っていることも注意するべき点である。

 更に、四つ目の要素である「ストーリー(キャラクター)」について、ジャンルとしての「ジャンプ系」と呼ばれるもの「ガロ系」と呼ばれるものそれぞれから考える。それは、「ストーリー(キャラクター)」におけるリアリティにはそれを強化する目的が二種類あると考えられるからである。つまり、読者が快いとする構成をし、より沢山の読者に読まれることを目的として極端に作られた「ジャンプ系」と呼ばれるマンガと、誰にでも読まれるように作るのではなく、それに共感する人だけを対象とし、エンターテイメント性よりも文学性や芸術性とでも言われるべきものを導入しそれを表現することを目的とする「ガロ系」と呼ばれるマンガである。そして、それらについても両者、その要素が極端に現れている作品をそれぞれ分析する。

 また、実際の分析について、「絵」「コマ」「言葉」の要素の発達として、『テヅカイズデッド』にて述べられているように、手塚治虫の『地底国の怪人』[1]によって「キャラ」と「キャラクター」の境が隠蔽され、キャラとはキャラクターであるとされて「キャラ」によるリアリティの発達が遅れたことを考え、「絵」を分析するための作品は、その時代的な意味からも他の二つの作品ジャンルからの影響が考えられる。そのため、先にそれを分析するのではなく、それら二つの後に取り上げることにする。つまり、これから3−2で「コマ」を3−3で「言葉」を、3−4で「絵」を分析する。そして、その後3−5にて、それら三要素の構成にあたる要素「ストーリー(キャラクター)」を分析する。



[1] 手塚治虫『地底国の怪人』:地上征服を狙う地底国と少年科学社ジョンの戦い物語の作品。ここでキャラとキャラクターの問題として取り上げられるのはウサオという登場人物である。彼はウサギでありながら人間の振りをするが、そのときに毛皮を無視し人間であるように扱われるコマと毛皮のあるウサギの化け物として扱われるコマがあることがキャラとキャラクターの問題とされる。また、手塚治虫自身が、ストーリーマンガ第一作と語っている。1948年発表。

 ⇒ 3-2 コマによるリアリティ:AKIRA
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