ここで、マンガへ今まで述べてきた二つの概念を導入する。また、マンガとは何か、リアリティとは何かという今後重要な意味を持つであろう事柄の定義も同時に行うものとする。
2−1 マンガとマンガ要素
さて、普段我々が読んでいるマンガとはどのようなものだろうか。それは、文章だけでなく絵をつかって物語を記述するものであると言えよう。しかし、これだけでは絵本との区別がつかない。それでは、更に考えてみよう。マンガはふきだしを使うし、コマも使う。このように様々な要素がマンガをマンガ足らしめている。本稿では、そもそもマンガとは何なのかということを漫画というジャンルの中から要素を探し定義していきたい。
2−1−1 そもそもマンガとは何か
今まで何の断りも無くマンガをカタカナで「マンガ」と表記してきたがその「マンガ」についてここで説明する。一般的に「まんが」という言葉を表記する場合、カタカナでのマンガと漢字での漫画があるが、ここではその表記自体に意味をもうけ、大きな括りでの漫画を「漫画」とし、その中の一ジャンルを「マンガ」としたい。漫画には大きく分けて二種類有り、一つはカリカチュアであり、もう一つはコミックである。カリカチュアとは有名人批判に使われる手法であり、実在の人物をカリカチュアライズ(デフォルメ)することにより滑稽に見せる事である。これは現在でも新聞などに使われている。コミックは、コマとふきだしを用い物語を描画する世間一般で言う「マンガ」であり、これをここではカタカナでのマンガとする。
2−1−2 マンガの要素
マンガは何を描くものなのかを考えたい。マンガとは絵を使い情報を記述する。しかし、それは単なる絵画としての絵ではなく、一枚の絵で完結せず、コマの連続と言葉による、ある特殊なルールの中での絵の連続性による時間記述から情報を記述するものである。このように時間の連続性を描くと言う意味において、そこに記述される情報はストーリー性を持ったものであると言える。そして、それを成り立たせる表面的な要素として、「絵」、「言葉」、「コマ」が挙げられる[1]。これは「マンガの読み方」により図示されている。今回もこれに倣いこの三つの要素を取り上げたい。しかし、ここで注意しなければならないことがある。それは、「絵」における「キャラ」である。『テヅカイズデッド』において「キャラ」とは「多くの場合、比較的に簡単な線画を基本とした図像で描かれ、固有名で名指されることによって「人格のようなもの」としての存在感を感じさせるもの[2]」であり、ここでは更にキャラ図像のことを「キャラ」と考えたい。即ち、人のような形をした絵のことをここでは「キャラ」と呼ぶこととする。そして、それに対する「キャラクター」をマンガ作品における登場人物と考えることとする。また、ストーリーとは、これら三つの要素「絵」「言葉」「コマ」を組み合わせることによって記述されていると考えられる(図1)。
図 1 マンガの構造
2−2 マンガリアリティ
マンガを作っているのは前述の要素である。しかし、それらを組み合わせて作られた作品でもその評価はまちまちであり、また、それが読まれるものとして成立していない可能性もある。それらの違いはどのようなところにあるのか。それは、リアリティである。リアリティを感じられてはじめてその作品は作品世界を読者に伝えることが可能となるのである。ここではリアリティについて述べ、リアリティと1章にて記した期待との関係を記述していく。
2−2−1 リアリティとは
リアリティというのは、その名の通り「現実らしさ」であり「現実味」である。しかしこのときに注意しなければならないことがある。「異世界でドラゴンと戦って英雄になる話」にはリアリティが無いのか、という問題である。これはどちらともいえない。何故なら、リアリティには二つの意味があるからである。ここではその二つのリアリティを区別して扱う必要があろう。一つは完全に現実を追求するという意味でのリアリティで、「ドラゴンなんているわけがないからリアリティは皆無だ」という意味のリアリティである。もう一つの意味でのリアリティは「目の前で起こっているかのように感じる」というものである。このリアリティは、その物語を読むと、本当にその世界に行って冒険をしたような気になれるということで、その場合、「異世界でドラゴンと戦って英雄になる話」でも物語の出来によってリアリティが存在しうる。これら区別して扱う必要性から、今後、前者のリアリティを「現実味」と表記しよう。また、更にその後者のリアリティから一歩引き、「その作品世界(ここでいう異世界)が実際に存在し、その事柄(ドラゴンと戦って英雄になる)がその世界の中で実際に起こりうるように感じる」ということを今回は特に注意が無い限りリアリティとする。これはギャグマンガの場合、必ずしも「目の前で起こっている」というリアリティがあるとは限らず、それを超えて作品世界全体を見る第三者的な視点からのリアリティを考えることが必要だと感じるからである。
2−2−2 リアリティと期待
マンガにおいてリアリティとは何かというと、ジャンルやその他により作品間の求められる最低限の水準が同一だとは限らないが、作品を読むために必要不可欠なものだと考えられる。即ち、作品世界とはそのストーリーにより作られる設定によるもの、またはストーリー自体であって、それが存在しているように感じられなければ、そこにはキャラクターを感じることが難しいからである。そのため、リアリティが読者に期待される水準よりもはるかに下回っているとき、それはマンガであるとは言えないだろう。更に、このようなことが言えるため、リアリティとはストーリーとキャラクターが成り立つことによって生じると考えられよう。
また、リアリティが読者に期待されるという意味において、これは「期待の地平」ともとれ、「期待の地平」をここに導入できると考える。そして、マンガ要素におけるリアリティを感じさせるものをリアリティ要素とすると、そのとき、リアリティ要素は、「絵」「コマ」「言葉」「ストーリー」「キャラクター」それぞれのレベルで存在し、それぞれが「期待の地平」を持ち、それらの組み合わせにより最終的にリアリティについての「期待の地平」を成り立たせると考えられる。また、これを図示すると以下のようになろう(図2)。今回はこの図を一つのモデルとして考え、そこから作品を分析していこうと考える。
図 2 マンガにおける期待の地平